プロフィール

田中 博

1978年4月に山発産業という会社に就職して、エイムズ試験と同じ仕組みの(大腸菌を使った)変異原性試験を始めました。入社直後に会社から阪大微研という研究機関に派遣され、一般細菌の同定の技術を勉強させてもらいました。化粧品がばい菌に汚染されたり、中で繁殖するのを防ぐようなことをテーマに仕事をしていました。1年くらいでヘアケアなどの生産工場での消毒や製品の防腐系を決める方法も確立しました。この間上司や先輩、仲間に恵まれ楽しく学生の時の続きをしていました。このヘアカラーの専業メーカーで(パオンやフェミニンといった一般売りのブランドやアンやサイオスといったサロン用のヘアカラーブランドを持つ会社でした)ヘアカラーの開発を担当させてもらいその後転職したものの現在までヘアカラーを開発に関わることになりました。初めての商品はパオンクリームカラーという製品で、ヘアカラーのプロである先輩方にたくさんのことを教えていただき、染料配合の基礎や、毛束やオンヘッドでの色の評価の仕方や実務を見せていただき、教えていただきました。製造現場にも近く製造方法についても学ぶことができました。発売前後には商品企画という部署で使用説明書の作成にも関わり、プロジェクトの始まりから、上市までを経験できヘアカラーを開発する技術や方法を学びました。

縁があり1991年に当時ブリストルマイヤーズスクイブという製薬会社のクレイロー事業部に転職しました。Dr.コーベットがおられ、山発の技術者も目標にしていたミスクレを持つ会社です。もちろん英語は不得意な私ですから、アメリカではなく日本の事業部です。

ここではサロン用のヘアカラーを開発していて、DeAgeというヘアカラーを作りましたが、コネチカット州のスタムフォードにある研究所に2か月研修に行き、各分野に専門家がいて商品の開発をマーケティングが方針や方向性を決めて、各分野がベストを出し合ってものを作って、評価もプロの集団が教育まで含めて進めてくれるという、大きな強い組織の仕事を見せてもらいました。実際日本での上市の時も外苑前の並外れて優れた美容師さんがこの商品を使って最高の染毛結果を発表会やパンフレットに乗せるなど作ったものとしてはこれ以上ない環境で商品を準備でき、研究所のスタッフ一同、(私と優秀な女性スタッフの合計2名ですが)満足して仕事の完成としました。

このときに、ヘアカラーは製品としてのものではなく、染める技術を含めてのもので、美容師という仕事のすごさを改めて感じました。

1999年12月にクレイロールの日本の事業部を資生堂が買収した時に一緒に資生堂ビューティーカンパニーという会社に移りました。資生堂の研究所という優れた研究所ではなく、ビューティーカンパニーというサロン事業部の中の研究開発室という部署を設けていただいて開発を続けました。この部署で社長やマーケティングのスタッフなども協力してくれ、ヘアカラーの勉強会を美容師さんたちと始めました。ひろし塾といいます。2001年から2005年まで続けました。この中で、ヘアカラーの原料や仕組み、ほかの美容技術とヘアカラーの関係などを10人ほどの小さな集まりで勉強会を始まりその後200人ほどまで参加者が増え、若い美容師さんから、中堅の実力者、カリスマ美容師、といわれる達人たち、地域も東京近辺だけではなく岩手、山形、京都、愛知、岐阜、静岡、徳島、福岡などからも参加してくださり楽しい勉強会になりました。この人たちと話していると、モノを通してとは言え、美容という仕事に関わっていることが誇らしくなりました。

テーマとしては、ヘアカラーをするときには髪は濡れているほうが良いのか乾いているのが良いのかや、染毛直後のパーマ液の色に対する影響など経験的に皆さんが知っていることを科学的に或いはモノを作る技術者の側からの見方をご紹介することから始めました。

改めての基礎の勉強は新鮮だったのかもしれません。この時以来美容師さんとお会いし、ディスカッションする機会が多く、ヘアカラーを理解するにも有効なテーマがありましたので、その都度のメモからヘアカラーについての参考になればと原稿を作成しました。

量だけは沢山あるので、一度に作るのは無理ですので少しずつですが出稿しようと思います。

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